Ramana Jyanti (バースデー・セレブレーション) 7日
昨日は143回目のラマナ・バースデー・セレブレーション(ジャヤンティと申します)だった。
前日セッションとプラダクシナで忙しくて夜あんまり寝てなかったのだけれど、6:30ぐらいにアシュラムに行った。その時間だとまだあんまり人はいなくて静かだった。
お母さんのサマディーの隅で坊さんたちが集まって、ツボの水の中に神のエナジーを下ろすプジャをやっていたが、すぐに終わってしまって残念だった。
朝食をいただいた。朝っぱからスイーツはちょっとツーマッチだったが、あとは美味しかった。
この後、一番大事なプジャの席取りしなくっちゃあ!とサマディーに走って行ったが、今年はあっけなく良い席(3番目)がゲットできた。
まわりの人は早く来て良い席を取ろうとするぐらいだから熱心なディボーティーでうるさくなくて助かった。観光客とかだとお話はするし、携帯はなるしでたまらんのだ。
プジャは20分ぐらいで始まった。
いろんな物をモニュメントにかけるというかラマナに捧げるのだ。
いろんな果物、ドライフルーツ、ライス。。。30分ぐらいは延々とそれが続いた。
大事なのはミルクを捧げるのと、早朝チャンティングをやって神のエナジーを入れたツボの水をかける時がクライマックスだった。
この後、モニュメントをキレイに飾り付けるのだ。これは小一時間かかるので、この間にトイレに行って帰ってきたら、右側のおばあさんが位置を左にちょっと移し、私の席であるはずの左側に図々しく誰かが座っている。そこは座ってはいけない場所のハズなんだけれど。
インドのゆーめーなわり込みで。私が1/2ぐらいちっちゃくならなければ座れないじゃん。わり込みおばさんをちょっと動いてもらってなんとか座れた。
飾り付けも時間がかかるけれど、この時間にディボーティーが歌を歌うのだ。何人も。ハートにタッチする歌を歌う人、うまい人もいるが、うまいとは言えない人も1人ではなくて、これは退屈だった。昔はこんなに延々と歌を歌わなかったのだけれど。
私と右側のおばあさんは膝が痛くなって大変だった。
やっとアルティがはじまった。プジャのクライマックスで美しかった。
プジャには3時間ちょっとかかった。
プジャが終わったら、ランチをいただくのだけれど、昨日はうまく列につけなかったのでだいぶ待った。マサラ味のご飯みたいのがほとんどなので量を減らしてもらった。
このプラサードご飯は昔の方が美味しかった気がする。
サマディーの隣の部屋のラマナの像が昨日はものすごく強いエナジーを放っていた。
そのエナジーだけでラマナは偉大な人だったのだなあと思った。
その部屋の壁にラマナが16歳の時の死の体験のことが書かれている
(16歳の健康な少年であったラマナはある日突然強烈な死の恐怖に襲われた。自分が肉体ではないこと、「私」は死なない存在であることを理解した。この経験のすぐ後、ラマナはアルナチャラのあるティルヴァナマライを目指して家出した)
いまさらのようにこの体験がタッチして私はこれを読んでいた。
すると、若いお母さんが7歳ぐらいの小さい娘に壁のその経験を読ませ始めた。インドの英語教育のレベルはスゴく高いから小さい子でも仲な英語は達者だから読めるんだけど。
その子はあるレベルで書かれていることを理解したかもしれない。母娘のこれを見てインドはなんとスピリチュアルなのかとカンドーした。
アシュラムのエナジーはものすごく至福にみちて気持ち良かった。
でも、長時間(3時間以上)インド式で座って、ひざと腰がボロボロになったので午後は家でダラダラした)
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