ゴールデン・テンプル、アムリッツア
フェイスブックの何年か前のメモリーにゴールデン・テンプルを訪ねた時のことがでてきた。
私が行った時は週末で、そんなことは考えてもいなかったのですが、ホテルを探すのも大変だし、テンプルに行っても、特に2日目の日曜はものすごい人で大変でした。
私はシーク教のことはほとんど何も知らないし、縁があるとも思えないのですが、テンプルのエナジーは時々ウルウルするくらいありがたいものでした。お詣りに来ている数多くのシーク達の真剣な祈りがテンプルのエナジーを強めているのかもしれません。
国中からシーク達が集まってくるわけで、そこにいた人々のほとんどはシークなわけですが、ビックリするくらいの数のシークが来ていました。
テンプルと池が見えるところに入ると、頭を石の床につける人々もいました。お詣りの後か、池の周りに座って、単に座っているだけの人々もいましたが、真剣に祈りを捧げている人々も数多くいました。
私も40分ほど並んで、テンプルの中に入りました。ご神体にあたるシーク聖典Guru Grant Sahibが置かれ、偉い坊さんがいて、聖典からの歌が延々とハーモニウムやタブラを伴奏に歌われていました。
その後、池のそばでテンプルを見ながら座りましたが、何ともいい気持ちで、けっこう長いこと座っていました。
あくる日は朝6時過ぎに行ったのに、前日よりもずっと人が多い。インド人はお詣りは早朝にやるからかなあ? と思ったのですが、時間が経つと、更にどんどん人が増えて、前日のようにテンプルを眺めて気持ちいいというのではなくなってしまいました。ましてや、テンプルの中に入るなんてものすごく時間がかかりそうでとんでもない。私がアタリ/ワガ 国境に儀式を見に行ったのは、テンプルに人が多すぎたからです。
国境から帰ってきて、夜9時くらいにテンプル行くと、流石に人がずいぶん減って静かになっていました。
私はもう一度テンプルの中に入りたかったのですが、早朝から動きまわって疲れていて、次の日は朝5:00発の列車に乗るので、次の日にお詣りするのはとても大変だなあ、どうしようかと思っていたら、存在の助けか、あんまりまたなくてお詣りすることができました。
聖典に向かって、床に頭をつけてお祈りして、その時は別に何も感じなかったのですが、テンプルから出て、壁の側に座ったら、動けなくなってしまいました。そして時々ウルウルしたのは、テンプルのバイブレーションのせいなのか、聖典の言葉からの歌のせいなのか、それとも真剣に祈るシーク達の祈りのエナジーに感応したのか。。。けっこう長くテンプルの側に座っていました。
私はシーク教の事はほとんど何も知りませんが、非常にいいものをいただいた、という気がします。
私はアムリッツアには一生に一度のつもりで行ったのですが、あんまりにもありがたいエナジーだったので、機会があったら、また訪れたいと思います。
デリーに帰ってきて鏡に映る私の顔は、白くて、内側を見てみるとポジティブです。??
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